辛い時にはいつも本があった

辛い時にはいつも本があった

辛い時、苦しい時、悲しい時に書店に行くといつもその時の気持ちにぴったりの本との出会いがありました。

【おすすめ本45】京都に女王と呼ばれた作家がいた 山村美紗とふたりの男 花房観音

『京都に女王と呼ばれた作家がいた 山村美紗とふたりの男』

花房観音 西日本出版社 2020年7月発行

 

子供の頃から血が嫌いで、テレビの時代劇も殺陣のシーンが見られないほどだった(特に座頭市は苦手だった)

ミステリーも、人が死ぬシーンが嫌で読めないほどだった。

だが突如10代の後半からミステリーを読むようになった。

 

それが、この本で書かれている山村美紗氏。

 

ミステリーは常々読んでみたいと思っていたが抵抗があったので、”まずは”という感じで山村美紗氏のミステリーを試しに読んでみたのだった。

 

女性が主人公のものが多く、その女性たちが華やかでちゃんとおしゃれをして美味しいものを食べて恋人は社会的に地位の高い人が多く。

10代だった私はそういう”大人の女性”に憧れた部分があったのも大きい。

でも、いつも犯人が毒死するのがワンパターンに思えたが、刑務所に入るよりは死をという美学かなぁなんてその頃は思っていた。

 

この本をおすすめしたい人

  • 山村美紗氏のファンの方
  • 西村京太郎氏のファンの方
  • 山村美紗氏と西村京太郎の関係が気になっていた人
  • 山村美紗氏の事がもっと知りたい人
  • 作者花房観音さんの本をよく読まれている人

 

作者紹介

花房観音(はなふさ かんのん)

 

1971(昭和46)年、兵庫県富岡市生まれ。

京都女子大学文学部中退後、映画会社や旅行会社などの勤務を経て、2010年に『花祀り』で団鬼六賞大賞を受賞しデビュー。男女のありようを描く筆力の高さには女性ファンも多い。著書に『寂花の雫』『花祀り』『萌えいづる』『女坂』『楽園』『紅色入道』『偽りの森』『花びらめくり』『うかれ女島』『どうしてあんな女に私が』『紫の女』など多数。現在も京都でバスガイドを務める。

 

『京都に女王と呼ばれた作家がいた』より引用

 

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この本のおすすめポイント

  • この本を書いたのが花房観音さんなので、女性作家目線で書かれているところが共感できる部分が沢山ある
  • 山村美紗氏と夫、西村京太郎氏との関係が書かれていてとても興味深い
  • 出版社のタブー(西村京太郎氏がまだ作家活動しているので触れられない部分が多く山村美紗氏との関係は業界では触れてはいけない事)を破って書かれた本なので、今まで表に出ていない部分が沢山書かれている
  • 山村美紗氏の苦悩や苦労が書かれていて、著作で知ることができない部分を知ることができる
  • 作家の業のようなものを感じ入る事ができる

 

 

 

 

心に残った点・役に立った点

 

夫は妻の肖像画を描き始める

この本を手にとってまず驚くのが、

表紙をめくって目に飛び込んでくる表紙カバーにある

山村美紗氏を描いた絵。

 

これは山村美紗氏の夫、山村巍(たかし)氏が描いたもの。

この絵にまずちょっと度肝を抜かれる。

 

毎日、明け方の夢に亡くなった妻が現れ、「私の絵を描いて」と。

そして、夫は妻の肖像画を描き始めた。

 

西村京太郎氏と夫。

二人の男性にこんなに執着を残す山村美紗という女性という生き方にここで興味を惹かれる人も多いだろう。

 

西村京太郎氏との関係

まだ売れていない時代の西村京太郎氏に届いた京都からのファンレター。

「西村さんの本を買って読みました。素敵な内容でした。これからも、がんばってください。」という簡単なもの。

 

このファンレターだけで、

西村京太郎氏はいてもたってもいられず、京都まで会いに行ってしまう。

どうやら「学校の夏休みには、レンタカーを借りて北海道を一周して来ました」と追伸にあったので、女子大生だと思い込み、字が綺麗だから美人に違いないと心を弾ませたようなのだ。

 

昔は今のようにメールなどもない時代。

だから、手紙というものはロマンチックな要素もたくさんあったのかもしれない。

でも、この行動は女性にとっては戸惑うだろう。今だったらちょっと怖いと思われるかもしれない。

 

この頃、山村美紗氏は31歳か32歳の人妻。

のちにパーティーなどで顔を合わす機会なども増えたようで、西村京太郎氏はいっきにプロポーズまでする。

パーティで振り袖を着ているから独身だと思っていたとの事。

人妻だともっと早く言ってくれないのかと追求する西村京太郎氏に山村美紗氏は「そういうのは察するものでしょ。」とかわされてしまうが、人妻と知っても想いが続いたようだ。

 

「そういうのは察するものでしょ」という言葉は、さすがだなぁと思った。

男性はこのやりとりをひどいと思うかもしれないが、女性はなんとなくわかる部分があるのではと思う。

(こういう部分は男性の方が純情で思い込みがあるのかもしれないなぁと。女性はもっと感じや感覚で察する鋭さがあるし)

 

戦死、ふたりの男という章。

1996年(平成10)12月の『婦人公論』で西村京太郎氏は、

既婚者だった彼女とずっとつき合っていたのは、この状態がいちばんいいと思っていたからです。話したいときは話せるし、喧嘩をしたら会わなければいい。作家同士だから、出版社や編集者との打ち合わせも一緒にできる。(中略)

僕は娘さんの紅葉ちゃんや真冬ちゃんとも仲良しで、ある意味では家族公認のような仲でしたが、それだけに辛いこともありました。入学式のときは家族だけで出かけてしまうでしょ。娘さんたちの結婚式のときも、僕は来賓席に座るわけです。彼女は『それが普通なのよ』という態度だったから、『おかしいなぁ男のほうが日陰の身とはどういうわけか』と思ってね(笑)

(中略)露骨に言えば、男と女の関係があったときには、あの人の弱さには気づきませんでした。彼女も見せなかった。

(以下略)

こう答えている。

 

この部分を読んである意味のけぞってしまった。

「亡くなった後、こんな事言うなよ~!」

と思ったからだ。

 

”日陰の身”と自分の事をいうなら、

男と女の関係だったことは墓場までもっていけばいいのに、娘たちとも仲が良かったというならなおさらだ、と思う。

娘たちの結婚式で西村京太郎氏が親族席ではなく、来賓席に座るのも本人はそう思っていなくても傍から見たら当然のことに思うし。

 

そして西村京太郎氏は、山村美紗氏が亡くなって二年半後に週刊朝日で、山村美紗氏と自分の関係をモデルにした『女流作家』を連載し始める。

 

ちなみに、この本を夫・巍氏は読んでいないそうだ。

 

そういえば、私が山村美紗氏の本をよく読んでいた時に、

とうに西村京太郎氏の小説のファンだった父から、

山村美紗氏と西村京太郎氏の関係を聞いたときは、びっくり。

 

なんだかその時は10代だったから生々しく感じたけど、作家なんだから別に普通の常識の中で生きなくても良いという風にも思っていたので、ある意味とても作家らしいと感じたのを思い出す。

 

女王・山村美紗

山村美紗氏は西村京太郎氏に常々、

「可愛い女と呼ばれたい」と言っていたそうだ。

 

可愛い女になりたいと願っていたと。

 

これにはちょっと驚いた。

あれだけの仕事量、出版社のおえらいさんや編集者を傅かせていた(ホテルで開催されるパーティーでは、一段高くなった上座に座り一社ずつ代表者が挨拶、その際には「今度の表紙は何!」と激昂する場面もあったという)のに、”可愛い女になりたい”。

 

 

パーティーは「山村美紗・西村京太郎先生」と必ず山村美紗氏の名前が先。

雑誌の表紙では、他のミステリー作家の名前と同列に扱うことも、

タイトルが入っていないことも許さなかったそうだ。

文芸誌に書く時は、特別扱いが鉄則。

編集者だけでなく、出版社の役員たちもひれ伏す「女王」

 

だが、激昂した後に編集者に

「本心で怒っているわけじゃないからね。これは京都のやり方よ」と優しく声をかける(彼女は京都のやり方と言っているが、私は京都の人ではないからよくわからないが、そうなんだろうか)

そして、年賀状はすべて手書き、祇園でもてなし、相手を喜ばせようとする。

 

京都の人間は裏表があるとはよく言われるが、美紗にはそういうところはなかった。だからストレートに怒り、笑い、泣く。感情が豊かな人だった。

 

『京都に女王と呼ばれた作家がいた』 第五章 京都組 より引用

 

「この世界は宣伝よ」と言っていたそうだが、それを十分感じる逸話も沢山載っていた。

 

夫は彼女のことを、

「フェアリー的な存在でした。佇まい、しぐさみ、他の女性とは違う。かよわい感じで、男性の征服欲を刺激する。男の人には好かれますね。真面目でいじらしく思えました。」

と、言っている。

 

女王ぜんとした山村美紗氏は、一方で男性には儚いフェアリーのように見えた。

 

このあたりが”可愛い女と呼ばれたい”という彼女の思いをあわせて考えると、そのアンビバレントな部分がとても魅力的な女性だった事がわかる。

 

 

 

影に徹した夫・山村巍氏

 

 この本の貴重な部分は、

今まで影に徹してきた夫・山村巍氏に作者がインタビューした内容が載っているところでもある。

 

再婚した今の妻、祥さんとの出会いのことも書いてあった。

 

今は、山村美紗氏の肖像画は描いていないそうだ。

妻の祥さんとともに、猫の絵を中心に描いているそうだ。

 

作家である西村京太郎氏の山村美紗氏の死の受け止め方と表現の仕方、

影に徹してきた夫の死の受け止め方と表現の仕方、

それぞれ小説と絵と違うが、どちらも山村美紗氏に対する強い想いが感じられる。

 

そして、二人共再婚して、どこかふっきれたように見えるのも共通している。

 

作者・花房観音さんの覚悟と恐怖

西村京太郎氏が今でも多くの出版社から本を出版し、作品がドラマ化されていることから、山村美紗氏の事を書くのは今でもタブーなのだそうだ。

 

西村京太郎氏が書くのはオーケーでも、他の人がそのことに触れることはできないということ。

 

この本を出すことは、作者 花房観音さんが作家であり、出版社から本を出版しているからなおさら難しい事だったようだ。

 

「書きたい」という気持ちと葛藤。

 

その彼女が、作家の友人が沢山のプロットを残しながらも50代の若さで酒でなくなることをきっかけに、紙の本が売れないこと、紙の本は終わりだと言われるが、多くの人たちの共同作業で生まれる紙の本の世界が好きで執着があること、未来が見えない自分にこのままでいいのだろうかという葛藤、書きたいものを書けずに死んでしまいたくないと強く思い、西日本出版社から本を出すことになった経緯が描いてある。

 

 

 

山村美紗氏が亡くなったのは、出版物がピークである年。

つまり本が一番売れていた年。

 

今は紙の本が売れない。

 

その辺りのことを読むと、山村美紗氏は本当にいい時期に書いていたんだなぁとも思う。

 

ほんの売れ行きは、昔と今では全く違うが、

いつの時代も作家というものはそれぞれの業のようなものをかかえているんだなぁということも、この本を読むと作者を通して感じる。

 

西村京太郎氏が現役で活躍している間は、

山村美紗氏に触れることは許されないことだそうだ。

作者は、書き始めて恐怖や後悔で眠れなくなったりしている。

 

この本は、作者花房観音さんの作家としての生き方を記している本でもあるのだ。

 

 

 この本を読むと、

実際に山村美紗氏の本を読んでいた時には感じられなかった彼女の一面を知ることができるが、それでがっかりしたり幻滅したりすることはまったくなかった。

 

それどころか、やはり作家になりたくてなりたくてなった方だからこその、作家らしい業を感じる。

いいとか悪いとかそういう問題ではないのだ。

山村美紗という生き方だったのだ、と。

 

久しぶりに、彼女の本を読みたくなった。

 

おすすめしたい本です!