『小休止のすすめ 運を呼び込む「人生の休み方」の極意』
ヒロミ
SBクリエイティブ株式会社 2019年発行
ヒロミが何年か前に再ブレイクしたそうだ(テレビを殆どみないのでよくわからない)
だが、むかーしテレビでハワイに買った家でくつろぐ様子をみた。
エアコンがついていないのだそうだが、
窓から気持ち良い風が入ってきて死ぬ時はこの椅子に座って死にたい言っていた。
それが、とても気持ちよさそうでハワイの家いいなぁと思った。
そのあと、家から夫婦ふたりでウォーキングに行く様子が流れていた。
奥さんは言わずと知れた松本伊代さん。
ヒロミはマメで器用な印象だったが、感心したのは奥さんの松本伊代さん。
彼女はとても賢い女性なんだなぁと。
旦那さんをそのまま受け取っている感じの夫婦の距離感がとても良くて、
家事が得意ではない印象だったが、そんなことどうでも良くなるほど彼女に感心した。
ヒロミの活躍は松本伊代さんという奥さんも関係あるんだろうなあと思いながら読んだが、なかなか良かったのでご紹介。
この本をおすすめしたい人
- 人生の変化を求められている人
- 小休止を考えている人
- 私生活を充実させることに罪悪感を持つ人
- 落ちぶれるのが怖い人
作者紹介
ヒロミ(ひろみ)
1965年 東京都八王子生まれ。
1986年、ミスターちん、デビット伊東等と共に「B-21SPECIAL」を結成。
若者を中心に絶大な人気を誇り、1990年にゴールデン・アロー賞芸能新人賞を受賞。1993年に歌手・タレントの松本伊代と結婚。
日本を代表とするMCとして活躍。40歳の時に加圧トレーニングジム51.5をオープン。
著書に『言い訳しない生き方。』(ロングセラーズ)がある。
藤田晋(ふじた すすむ)
1973年福井県生まれ。
97年に青山学院大学経済学部を卒業後、株式会社インテリジェンスに入社。
98年に退社し、インターネット総合サービス企業、株式会社サイバーエージェントを設立。代表取締役に就任。
2000年に当時史上最年少で東証マザーズに株式上場後、14年には東証一部へ市場変更、日経ビジネス「社長が選ぶベスト社長」に選出される。
16年、テレビ朝日と共同出資でインターネットテレビ局AbemaTVを発足させるなど新たな事業にも進出。
『起業家』『渋谷ではたらく社長の告白』『運を支配する』など著者多数。
(『小休止のすすめ』より引用)
この本のおすすめポイント
- おじさんと呼ばれる年齢になった時の挫折への向き合い方が参考になる
- 「立ち止まる」ときを肯定し、受け入れていいんだとわかる
- 同じタイトルでヒロミと藤田晋さんが話しているので、それぞれの考え方の違いが面白い
- 落ちぶれた自分を認めてみようという気になる
- 「良いプライド」「悪いプライド」について考えることができた
心に残った点・役に立った点
躓いた原因
この本を読んでなぜヒロミが再ブレイクできたのかがわかった。
40歳頃から司会をしていた番組が潮が引くように終わっていったそうだ。
その時、時代が自分を必要としていないのを感じで、自ら芸能界から身を引いたとのこと。
40歳で躓いた原因は「変化できず」「修正できなかった」ことにあり、
引き出しがなさすぎたということに気がついたそうだ。
時代が変化して、自分自身も変わるように求められたなら、変わるかどうか、どう変わるべきかを検討すべきとの事。
変わるのが難しいと感じたら、小休止を取れば良い。
別の世界に身を置くと、小さなことにこだわっている自分が客観的に見えてくるという言葉は、なるほどと思った。
小休止を経て80%を心がけるようにしてみたら、うまくいくようになったのだそうだ。
200%で突っ走ると成果は出ても、周りの人を置き去りにしていくことがある。
これって、よくわかる。
100%を続けると自分がバーンアウトしてしまうし、
人を見る目も厳しくなってしまうし、批判的にもなってしまったりする。
(なんであの人はもっと頑張らないんだろう!とかね)
落ちぶれた自分を認める
ヒロミは若い頃にはほとんど挫折感を味わわないまま、長い小休止に入ったのだそうだ。
おじさんと呼ばれる年齢になっての、初めての大きな挫折。若いうちに売れず苦労して挫折感を味わいまくる人、50歳で上場企業からリストラされて途方に暮れる人。挫折と向き合うタイミングが違うだけで、誰もが一度は「きついな」という局面に出くわすときがある。人生はそういうふうにできているのだと思う。
(中略)
芸能界から離れた先輩たちの中には、そうやって周りから「落ちぶれた」目線で見られているうちに、本人も落ちぶれた感を漂わせるようになっつぃまった人もいた。たまにくるテレビの仕事にしがみつき、「いい番組がなくて」「自分にあう企画がなくて」と誰にともなく言い訳しながら小さなプライドを守り、次のステップを踏み出すことなく落ちぶれた感の中に埋まっていく。
(中略)
しがみついてまでやりたくないからテレビから離れ、遊びたいから遊び、ジムをやってみたかったからやったのだ。
この決断にプライドを持つためにも、僕は一回、胸を張って負けを認めることにした。世間の人がこちらを落ちぶれたと見るなら、たしかにそうだ、と。
タイミングが違うだけで、誰もが挫折を感じるような事、キツイという時は一度は来る、そういう風にできているという言葉に、ハッ!となった。
主人は今挫折を味わっている最中だから、なおさら胸に響いた。
私は、主人に「もっと頑張れ!」「あなたはできる人だったし、こんなに実績を出してきたんだからもったいないよ!」とずっとハッパをかけてきた。
私が主人を励まし、できるのにもったいないからそれをわかってもらい自信を持ってもらおうと思っているのだが、主人はいつも辛そうだった。
そして、主人は時には苛立ち「もうダメなんだって!諦めろ!」と怒鳴ったりした。
そうか。誰よりも負けを認めたくないのは、主人ではなく私だったのだ。
主人の事を考えると言うより、私が負けを認めたくないだけだったのだとこの本を読んでわかった。
自分は一時代を築いた・・・・・みたいなプライドを守って、負けを認めないであがいていると、次の扉を開けることができなくなる。
両手を上げて、「はい。たしかに1つの世界で必要とされなくなりました。負けました」と。実績もプライドもぽいっと捨てられるよう自分と対話するのが、小休止に入るときにするべきことなのかもしれない。
負けること、挫折することはそんなに悪くない。人生が終わるわけでも、全財産を失うわけでもない。負けても、挫折してもたかがしれている。問題は、世間の「落ちぶれた」と見る目に押されて、自分から「落ちぶれた感」を出してしまうことだ。
『小休止のすすめ』より引用
この部分は、私の心に響いた。
同時に負けを認めるとかいう視点から全く考えたことが無かったから、
こういう考え方にちょっと驚いた。
認めづらいものを認めるのも、ある種の強さ。
次に進むには、一旦落ちぶれた自分、負けた自分を認める。
なるほど、と思う。
そうすることで次の扉が開かれるというのは、
たしかにそうだろうなぁと。
目を背けてきたものをしっかり見て、自分と対話をするということ。
小休止とはそのためにあることということらしい。
誰にでも1度はやってくる挫折の時に、
自分を受け入れて小休止できるかどうかは大事かもしれない。
それが出来ないと、軌道修正もしないままつっぱしってしまうか、
追い詰められてしまうか。
頑張っている人ほど、
小休止という考え方は受け入れがたいかもしれない。
だが、この本にあるように小休止して遊んでみる(たとえそれが休みの日だけであっても)のはすごく大事かもしれない。
頑張っているおじさん世代にもおすすめです。