『絶望の隣は希望です!』 やなせたかし
小学館 2011年10月発行
ストレスで眠りが浅い日が続き、
気分も沈みがちな時に、タイトルに惹かれて光を求めるように読んだ本。
これが良い本だったので、
年取った両親に贈ろうと思っている。
(新聞を読んでも、テレビをみても、嫌な気持ちになる報道ばかりで、あまり体調も良くない上に、メンタル面でも不安が増してきてという電話があったばかりなので)
東日本大震災のすぐ後に書かれた本なので、
第1章は「奇跡の一本松」が教えてくれたこと
で始まっており、震災にあった人々や日本を励ます内容でもあった。
この本をおすすめしたい人
- 東日本大震災や他の震災にあった人
- 今、人生が苦しい人
- 老年になって気持ちが沈みがちの人
- 持病を持っている人、配偶者が病気の人
- やなせ流・長寿の秘訣を知りたい人
作者紹介
やなせ たかし
1919年2月9日生まれ。高知県出身。
東京高等工芸学校図案科(現・千葉大学工学部デザイン学科)を卒業した後、編集者、グラフィックデザイナー、漫画家、絵本作家、作詞・作曲家、詩人、歌手、演出家として幅広く活躍。
『アンパンマン』『やさしいライオン』『チリンのすず』など大人から子どもまで支持される名著を生み出す一方、『手のひらを太陽に』『アンパンマンのマーチ』『陸前高田の松の木』など、弱者を励ます応援歌も数多く手がけている。現在、日本漫画家協会理事、やなせたかし記念館アンパンマンミュージアムの名誉館長を務める。
『絶望の隣は希望です!』より引用
この本のおすすめポイント
- 50歳くらいまで失意と絶望の連続だったというやなせたかしさんの人生を知ると勇気が出る
- 92歳でこの本を書いている時も、病気をかかえながら現役で仕事をしている姿が病気の人、幅広い年齢の人に生きる力をくれる
- 「一寸先は闇」ではなく「一寸先は光」の言葉に励まされる
- 85歳を過ぎた頃から「老いたアイドル”オイドル”」を名乗って、老いても人生捨てたもんじゃないよという事が書かれており、年配の人たちに元気をくれる内容
- 読むと本当に「絶望お隣は希望」かもと思えて少し心が明るくなる
心に残った点・役に立った点
寂しくて胸がつぶれそうだったあの頃~戦争で思い知った本当の正義
5歳の時に、新聞記者として中国に渡った父が急死。
2歳年下の弟が、伯父のところに養子として引き取られる。
小学校2年に、母が再婚したため弟が養子に入った伯父の家に預けられる。
思春期になる頃には、いつも無性に寂しく、涙がこんなに出るのかというほど泣けたが、その原因は父にあるのか、母に有るのか、伯父夫婦にあるのか思い出せないとの事。
ただ、精神状態はかなり危険だったようで、線路に身を横たえた事もあったとか(夜汽車の汽笛が近づいて来た時に恐怖に駆られ線路から転がり出て無事だったそうだが)
この辺りの事は読むこちらも辛いような感じだが、
その寂しさが、後の詩や文、手のひらを太陽になどの歌詞、童話などを創作する元になったのかもしれない。
やなせ氏は戦死した弟の事をよく話したり書いたりしているが、
この本ではご自分の戦争体験も克明に書いている。
こちらも胸が痛くなるような内容だが、体験された事は戦争の記録としてずっと残すべき資料でもある。
戦争に行った方って、
亡くなった身内の事は話すが、自分のことは話さない人が多いような気がする。
私の祖父も重巡洋艦に乗って南方で戦死した弟の事はよく話したが、
自分の体験は話すことがなかった。
(だから、戦争に行ったのは祖父の弟だけで祖父は行っていないとずっと思っていたくらい)
自分の体験も辛いことが多かったのだろうけど、
話すことでは無いと思っていたのかもしれない。
そして弟は年下だから、余計かわいそうに感じたのかもしれない(今となっては聞きようがないことだが)
この戦争体験が、
後のアンパンマンが生まれるベースとなっていることは有名だ。
だから、アンパンマンには伝えたい芯が、しっかり一本通っているように思う。
オンボロアパートで日は暮れて~天国の妻へ
復員して郷里に帰っても、弟の死の現実の前に、
胸が虚しさでいつも一杯で、敗戦ボケのような状態で思考がパニックを起こし、物事を考えるのが億劫だったそうだ。
その後、高知新聞社に記者として採用され、
そこで後の妻となる小松暢(のぶ)さんと知り合う。
そして上京し、小さなテーブルひとつだけの家財道具のアパートで結婚生活が始まったそうだ。
三越の宣伝部時代、その後の漫画たちや、吉行淳之介、中村メイコ、宮城まり子、永六輔などとの交流なども書かれており、幅広くいろんな仕事をしていたことがわかる。
絵本『やさしいライオン』を書いたり、詩集を出してそれがよく売れたり。
考えるとすごいことなのだが、本人は漫画家として代表作もなく迷路に迷い込んでいたような心境だったとの事。
奥さんは、60歳近くでアンパンマンで世に認められた時は、
それはそれは喜んだという。
そんな時に乳がんの宣告と手術。そして余命3ヶ月と伝えられる。
この辺りは心境を考えると、胸がつぶれる。
読んでいて心が痛い。
妻が先に逝き、
たったひとり、取り残されたような寂寥感。
心の中ががらんどうで、夜も眠れなかったそうだ。
そこにあるのは、絶望という2文字。
そんななか「もう一度立ち直って」とアンパンマンが救ってくれたような気がしたそうだ。
アンパンマンは奥さんを喜ばせ励ましてくれたけど、奥さんが亡くなった後の寂しさも慰めてくれたと。
私にもいつか来るであろう、夫の死。
私達には子供がいないところも一緒なので、なおさらこの本を読んで胸にしみるものがあった。
私が先に死ぬかもしれないが、夫が先に死んだら私は絶望なしに生きていけるのだろうか。
この本を読んで、私以外にもやなせ氏の夫婦愛を綴った部分が心に深く残る人も多いかもしれない。
やなせ流・長寿の秘訣
長寿で、しかもお亡くなりになるまで現役で活躍なさっていたので、
この本を読むまでこんなに病気を抱えた方だとは知らなかった。
腎臓結石、白内障、心臓手術、膵臓の1/3・胆のうと脾臓を切除、緑内障、糖尿病、腎臓がん。
この時代はよくテレビでもお見かけしていたが、
その影でこんなに病気と戦っていたとは。
本の中には、やなせ氏の健康法も色々載っている。
毎朝やっていらした運動は結構ハードでこちらも舌を巻くほど。
【はんぺんとビーフのシマウマ焼き】【蕎麦粉のホットドッグ】【やなせ流”特製野菜スープ”】などはレシピも載っていて、読むのが楽しい。
参考になる人もいるのではないだろうか。
両親に読んでもらいたいなぁと思った箇所が、
オシャレは心を豊かにし、気持ちを前向きにする健康法だというが、若い頃からの僕のポリシーです。僕の元気の秘密です。
オシャレをすると、行儀を悪くするわけにはいかないから、気持ちに張りができて姿勢もぴんとよくなります。つまり、オシャレをするには、一種の気力というものが不可欠です。
『絶望の隣は希望です!』第7章 やなせ流・長寿の秘訣 より引用
母はとてもお洒落な人で、それが私も子供ながら嬉しかったが、
年取った最近は昔ほどでは無いようで残念。
コロナ禍の中、お洒落をするのもはばかられると思っている人も多いかも。
でも、きちんとお洒落をするというのは、気持ちが外を向く感じで明るくなる。
両親には、堂々とお洒落を楽しんで明るい格好をしてほしいなぁと思う。
絶望の隣は希望です!
絶望の隣は希望かどうかはわからないが、
今回私はこの言葉にとても救われた。
やなせ氏はこの章で書いている。
僕は、人生というのは、満員電車じゃないかと思うのです。我慢して乗っていると、次々と人が降りていって、いつの間にか席が空いて座れる。これは、誰もが一度は経験することでしょう。
僕が売れない、モテない、しがない漫画家として、それでも生き延びてこられたのは、満員電車から降りなかったからです。
『絶望の隣は希望です!』第9章 絶望の隣は希望です! より引用
この章で、老後が不安でならない人、老後の楽しみなど無いと夜も眠れない人たちに向けて、アドバイスをしている。
不安なのがあたりまえだと。
病気も失恋も何もなかったら、死んでいるのと同じ。
いろいろな苦しみがあって、そのなかでどう生きるか。それが生きていることと。
今日一日、一生懸命やろう。
一生懸命やれば、人を喜ばせることができる、それでいいと。
この辺りは、
すでに老後を生きていて楽しみがない人を奮い立たせてくれるかもしれないが、私の心も明るくしてくれた。
暗い中に、一筋の光がさしたような気持ちになった。
是非、色んな人に読んでみてほしい本。
私は、両親にこの本を郵送しようと思う。
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