『ALIVE アライブ』僕が生きる意味をみつけるまで
日本放送出版協会 2001年発行
前にテレビやラジオで話している宮本亜門氏の言葉を聞いて、
「この人は内側に色んな思いを沢山抱えて来たんだろうなぁ」と思う事があった。
(そういう話はしていなかったが)
だからか、ずっと人物に好感と興味を持っていた。
この本を読んで、その意味がわかった。
2001年発行とかなり古い本だけれども、
この本を読んで救われる人がいるかもしれないので、ここでご紹介。
この本をおすすめしたい人
- ひきこもり・登校拒否のお子さんを持っている人、または本人
- ミュージカルや舞台が好きな人
- 親との葛藤を抱える人
- 今、人生が辛い人
- ミュージカルや演劇など舞台の道に進みたい人
作者紹介
宮本亜門 みやもと あもん
演出家。
1958年東京都生まれ。
出演者、振付師を経て、
ロンドン、ニューヨークに留学。
帰国後の1987年にオリジナルミュージカル『アイ・ガット・マーマン』でデビュー。
翌88年には、同作品で
「昭和63年度文化庁芸術祭賞」受賞。
2001『アイ・ガット・マーマン』で米国デビューを果たす。
ミュージカルのみならず、ストレートプレイ、オペラ等、
現在最も注目される演出家として、
活動の場を広げている。
『ALIVE アライブ』より引用
この本のおすすめポイント
- 宮本亜門氏の人生が波乱万丈で、ページをめくる手が止まらない
- 演出家としていつも第一線にいるようなイメージの彼でも数々の挫折があった事を知ることができ、勇気が湧く
- 舞台の素晴らしさがわかり、見に行きたくなる
- 辛い思い出や喪失感なども率直に書かれているので、同じ痛みを感じたことがある人も共感を感じる
- 「自分は変わっている」と思って悩んでいる人に勇気を与える
心に残った点・役に立った点
プロローグとプロローグ
ー2001年9月11日、朝8時。
初めてのアメリカ公演の開幕を3日後に控えたこの日の朝、僕はニューヨークのアパートでいつもより早く起きて、仕事場に出かける準備をしていた。
(中略)
演目は1987年初演の僕のデビュー作『アイ・ガット・マーマン』。ブロードウェイへの登竜門として名高いニューヨーク郊外スタンフォードのリッチ・フォード劇場で、プレビュー公演を含めて14日から23日まで、全10回公演されることになった。僕以外のスタッフはすべてニューヨークで集められた。
(中略)
あともうひとふんばりで、長年の夢が現実になるー。チャンスが巡ってきた喜びと、何とか成功させたいという緊張が入り交じって、この日の朝も気分が高揚していた。
(中略)
「テレビを見てください。大変なことになってますよ。」
(中略)
いったい何が起きたのだろう。事態を把握できないまま画面を見入っていると、飛行機が目の前を通って、もう一方のビルにドッカーンと激突した。
『ALIVE アライブ』プロローグより引用
プロローグはこんなシーンから始まる。
あの時、あの場所にいただなんて。
それも夢が叶う当日に。
プロローグを読んでこんなに驚いた事もなかなか無い。
そして、何という皮肉なタイミングだろう。
こうしてみんなの協力によって、14日から3日間行われる予定だったプレビュー公演はやむなく中止になったものの、18日からの本公演は予定通り行われることになったのである。テロの直後で客足が心配だったが、大変評判がよく、週末には客席がほぼ満杯になった。スタンディングオベーションもあり、ミュージカルへのストレートな愛情が話題になった。
(以下略)
『ALIVE アライブ』プロローグより引用
客足が心配されたが、後半の3日間は約700席の客席がほぼ満杯になるほど盛況で、現地での評判もよかった。劇中で歌われた『ワールド・テーク・ミー・バック(昔に戻して)』に、今のアメリカの現状と重ね合わせて涙を流す人もいた。
(中略)
おそらく日本なら、「こんなときに演劇なんて・・・・・・」と自粛一辺倒のムードになるだろう。ところがニューヨークは違った。
「こんなときだからこそ」とブロードウェイは公演を再開して、人々を勇気づけようとした。ニューヨーク市長の「普段の生活に戻ろう」という呼びかけに応えて、ニューヨーク全体が立ち上がろうとしている。
(中略)
僕はあらゆる方法で作品を作っていく。今、生きている、まだ生きている、そして明日も生きられるという幸せを存分に感じながら。
『ALIVE アライブ』エピローグより引用
本を読む時は、プロローグやエピローグを先に読んだりする。
この本を読んだ時、プロローグとエピローグを読み、
なんだかじーんと胸に染みたのを今でも覚えている。
生きる・生きているという事に思いをはせることができ、
胸の奥があたたかくなった。
同じ経験をしたわけでも無いのに。
そうか、あれは心からの共感なのかと後で気がついた。
父と母
これは、宮本亜門氏を知る方には有名な話なのかもしれないが、
氏のお父さんとお母さんが色んな意味で人生に影響を与えている。
ミュージカルへの道にすすむ大きな存在になったのは、お母さん。
そして、葛藤を与えるお父さん。
しかし、いつの世も男性はお父さんの間に葛藤を持つことが多いのだなぁと改めて思う。(その事を考えると私はいつもジェームス・ディーンの映画『エデンの東』を思い出してしまう)
お母さんの事は普通に話すのに、お父さんの事になると表情が曇る男性のなんと多いことよ(私の周りにも沢山いる)
私は女なので、その逆で母に強烈な抵抗感をずっと持っていたわけだが。
この本には、お父さんへの抵抗感なども率直に書かれている。
親子の関係も小説の題材になりそうな感じで、かなり劇的。
両親のことをかなりオープンに書いていて、それがすごいなぁと思う。
少しずつ受け取れていったのだなぁと。
おしろい事件
小学生の時、日舞の発表会の後に学校に行った時、
洗ったつもりだったが顔の縁に発表会で塗ったおしろいのラインが残っていた。
それをクラスメートから揶揄され、大笑いされた経験。
天真爛漫でいつもニコニコしてことに対して、
「何だ?こいつは」という目で見られ傷ついた経験。
そいうことの積み重ねで、どんどん人とのコミュニケーションを警戒していった子供の頃の氏。
こいういう事は、違う内容でも経験したことがある人が結構いるのではないだろうか。
人とちょっとでも違うことをすることの危険性を子供の頃に感じたことは、誰しもあるのではないだろうか?
子供は保守的だ。
そして、人との違いに敏感だ。
自分の子供の頃を考えても、思い当たることが沢山ある。
が、その時にどう行動して、どう思えば良かったのだろう。
「人と違っても良い」なんて、アドバイスするのは簡単だけど、
それは社会性が身についた大人だからこそ言えることであり、
子供にはほんとうの意味では理解できないことかもしれない。
「お前はそれでいいんだよ」
おふくろから受け取ったバトンーショービジネスの世界で成功するという夢ーを握りしめて、ここまで走り続けてきた。ミュージカルも、オペラも、芝居もたくさんつくっているのに、おふくろは一つも見ていない。
もっと生きていてほしかった。
(中略)
もし今、僕がつくった作品や、僕が生きているさまを見たら、何と言うだろう。
誉めてくれるだろうかーいや、きっと同じことをいうだろう。
僕は多分まだまだだと思うから。でも、いつかはこう言ってほしい。
「お前はそれでいいんだよ」
その言葉が聞きたくて、僕はまだまだ走り続ける。
『ALIVE アライブ』エピローグより引用
今、この部分を読み直してハッとした。
そうか。
子供というのは何歳になっても親に認められたいものなのだ。
私の両親はまだ健在だが、私にもそれがあった。
親に認められたい。
なんでだろう?
親に認められたいと思っていたなんて自覚、これっぽっちも無かった。
だが、これを書いている今、はっきりと気がついた。
そうか、私、親に認められていないとずっと思っていて、
だから親にこんな人生を送ってしまってごめんね、もっと努力してくれば良かったのにね、期待ハズレでごめんねって思っていた!
親に対する罪悪感、ずっとあったなぁ。
私の親は、私を許してくれるのだろうか、とふと思った。
宮本亜門氏は、ものすごく波乱万丈な人生を送られている。
この本を読むとそこに驚く人もいると思う。
ひきこもりや精神科に通ったり、お母さんの死や、自殺未遂に数々の挫折。
氏の人生こそがミュージカルになるような物語。
辛かったことも多いのは想像がつくが、
そのひとつひとつが演出家という仕事や氏の血や肉となっているのがわかる。
すごい。
辛いことも無駄なことは無いのかもしれない。
氏ほど劇的な人生ではなくとも、有名ではなくとも、
みんなそれぞれ辛いことや挫折はあるわけで。
きっとそれも無駄じゃないってわかるときがくるのかもしれないなぁとこの本を読んで思う。
とてもおすすめです!